サンディエゴに留学していたことがあるのですが、アメリカと日本とでは、生活する上での違いが沢山ありますが、その一つがゴミの分別です。

日本の場合は、地域によって分別の方法に違いはあるものの、かなり細かく分けられています。
私の実家の場合は、燃えるゴミを捨てる袋に名前を書くようになっています。
誰がいつチェックするのかは知りませんが、出してはいけないゴミが入っている場合は、ゴミ袋のまま戻されてしまいます。
それほど厳しくないにしても、駅やビルに設置されているゴミ箱も、分別できるようになっています。

ところが、アメリカの場合は、リサイクル用とその他のゴミ、この2種類に分けるだけです。
リサイクル用はペーパーやペットボトルなどで、その他のゴミについては、家具のような粗大ゴミでも生ゴミでも家電製品でも、すべて同じゴミ箱に突っ込んでしまいます。

これでいいのかと不安になりますが、アメリカらしいなと思いました。
そのお陰で、ゴミの分別に厳しい日本に帰ってくると、ゴミの捨て方がわからなくなってしまいました。

両親の仕事の都合で小学校時代はアメリカボストンの語学学校で過ごした私ですが、その国の言葉、つまりアメリカの場合は英語ですが、英語の文学を読んだり言葉を学ぶ授業を受ける際、文学作品を一冊丸ごと扱うことがほとんどでした。日本の教科書も見たことはありますが、数ページほどの短いお話がたくさん集まっている国語の教科書が定番のようですね。しかしアメリカでは小学校の頃から英語の授業で本を一冊扱います。そして日本の国語の授業のように「『それ』とは何のことか、10文字以内で答えなさい」などの記述式の問題はなく、「なぜ主人公はそう思ったのか、自分で分析して書きなさい」など、思考力や想像力を養うような質問に答えることが多かったです。そしてクラスでディスカッションしたりして、「なぜ」や「自分がもし主人公だったら」など、本やマニュアルに書いていないようなトピックを考えることが多かったです。決して文学作品の一節だけ読むことはなく、丸々一冊読むことが決まりでしたが、毎回本を一冊読み終わるたび、長いストーリーと思考の旅をしたような気分になり、充実感はあったものです。恐らく日本の国語の教科書やストーリーについて答える問題などは「書いてある事実」に基づいているものが多いのではないかと推測しますが、そういった能力も社会では必要なので、アメリカの英語の授業と日本の国語の授業の違いにはそれぞれ良し悪しがあるのではないかと思います。